【IL DIVO】デイヴィッド・ミラーへのオフィシャル・インタビューが到着!
5月に【CLOSER TOUR】を開催するイル・ディーヴォ
タイトルには、手を伸ばせば触れられるような近い距離で、自分たちをより近く(closer)に感じてもらえるステージにしたいという想いが込められている。 今回は、結成20周年を経て表現の模索を続けるイル・ディーヴォのキャリアを振り返りながら、来日ツアーの演出や日本への想いをメンバーのデイヴィッド・ミラーに来日に先立ち話を聞いた。
Photo:Masanori Doi
壮大なサウンドに圧倒されて客席で「後ろにのけぞる」のではなく、
思わず「前のめり」になって耳を傾けてしまう、
そんなイル・ディーヴォをお届けしたい
Q:昨年末までツアーをこなし、今年は2月からUSツアーが始まっていますが、良い感覚で再開できましたか?
David(以下 D):12月から1月がオフだったんだけど、ちょうどアメリカを大寒波が襲い、僕の住むアップステート・ニューヨークでは、一晩で1m近く雪が積もったんです。ところがなんと、除雪機が壊れてしまって、家の前の公道まで1日10時間、200mの雪かきを4日間ぶっ通しでやらねばならず。おかげで、体は引き締まり、外での作業だから新鮮な空気もたっぷり吸い、すっかりリフレッシュできました!
あとは、12年越しで製作しているソロ・アルバムの仕上げにかかっていました。オペラ・アルバムです。ツアーとアルバムの合間で少しずつ作っていたものの、コロナでスタジオに入れない時期もあり、なかなか完成できずに今に至ったんですが、ようやくこの年末、自宅の地下にスタジオ設備を整え、完成作業にとりかかりました。5月の日本ツアー前には、なんとか完成できそうです。
ツアー・タイトルに込めた思い、日本公演での演出
Q:どんな公演にしたくて「CLOSER」とタイトルをつけたのですが?観客にどんな体験を届けてくれますか?
D:この20年間、イル・ディーヴォは常に”なれる限り大きな自分たち”を目指してやってきました。でもその過程で、観客の皆さんとの距離が少し遠くなってしまったかもしれない、と気づいたんです。だから今回は、皆さん一人一人が手を伸ばせば触れられるような近い距離で、僕たちをより近くに(closer)に感じてもらえるステージにしたいと思いました。

そこでこのツアーでは、それぞれソロで歌う曲も用意しました。僕たち4人は、イル・ディーヴォになる前は全員がソリストでした。なぜこの4人が集まったのか、ということが垣間見られるような、僕たちの声の個性を聴いてもらえるコーナーになっています。僕が歌うのは(制作中の)オペラ・アルバムからではなくて、また別の曲。ちょっとしたサプライズなのでお楽しみに。そこで歌う曲も、いずれまた別の形でレコーディングしたいなと思っています。
全体としてはこれまでの歩みを網羅した、いわばグレイテスト・ヒッツ的なレパートリーです。新たに編曲した曲、ピアニストと僕たちだけで演奏するシンプルなヴァージョンもあるので、これまで聴いてきたのとはひと味違うナンバーを楽しんでいただけるはずです。イル・ディーヴォの壮大なサウンドに圧倒されて客席で「後ろにのけぞる」のではなく、むしろ皆さんが思わず「前のめり」になって耳を傾けてしまう、そんなイル・ディーヴォをお届けしたいと思っています。

Q:ジャパン・ツアーならではの、楽しみにしておける演出などはありますか?
D:ええ、ありますよ。日本はイル・ディーヴォにとって特別な国なんです。20年前、僕たちのような音楽スタイルが日本で受け入れられるのか、正直なところ誰にもわかりませんでした。でも皆さんは、僕たちをとても温かく迎え入れてくれました。その思いもあって、日本ではいつも「ふるさと」という曲を歌っています。日本の方にとって郷愁を誘う大切な歌だと知っていますし、僕たち自身も日本に対して同じような気持ちを抱いているので、日本に来るたびにこの曲を歌うんです。
普通、ツアーでは曲を変えることはありません、でも、その国ならではの曲を歌うのは、世界中でも日本だけなんです。
個性豊かなメンバー
Q:2023年の来日公演ではスティーヴンが正式メンバーとして東京で歌声を披露してくれましたが、彼がメンバーとして加入する決め手は何だったのですか?
D:カルロスを失い、僕たちはとても辛い時期を過ごしていました。最初、スティーヴンを呼んだのは、あくまでもカルロスが戻るまでの一時的な代役としてでした。でもカルロスが亡くなった後、スティーヴンがいてくれたから、ヴォーカル面でイル・ディーヴォのサウンドを完成させ、メモリアルツアーを敢行することができたんです。
それだけでなく、彼がグループにたくさんの笑顔をもたらしてくれました。スティーヴンは僕たちよりもちょっぴりだけ若い。正確には17歳年下です(笑)。2004年に僕たちがイル・ディーヴォをスタートさせた時と同い年です。そのせいもあってか、グループに入った瞬間から全力で走れる状態でした。もし僕たちの年齢で入ってきたら、大変だったはずです。僕らは20年かけて、体力や精神を整える方法やルーティンもできていた。でも彼は若いからすぐに飛び込んで、20年前の僕たちと同じようにツアーをこなし、どんな状況でも、求められることを全てやり切れたんです。
音楽面だけでなく、人間的にも素晴らしい関係も築けました。一番付き合いが長いのは僕です。イル・ディーヴォ以前、オペラの仕事で一緒になったことがあったし、僕のソロアルバムにもデュエット曲を歌ってくれています。これはコロナ前から準備していたものです。
カルロスが僕たちの兄弟だったのと同じように、スティーヴンとも本当にいい兄弟のような関係が築けています。オーディションで4人目を探すこともできたでしょうが「すでに全曲を知ってて歌えるスティーヴンがいるんだ。なぜそんな必要がある?このままでいこう」と思ったんです。あくまでも自然の流れでした。
Q:スティーヴンはどんなタイプのシンガーですか?せっかくなので、セバスチャンとウルス、そしてあなた自身の特徴も教えてください。
D:スティーヴンは僕やウルスのようなオペラのテノールよりも低いバリトンで、厳密に言うと、やや高めのリリック・バリトンです。現代作品も数多く歌っていますが、『セビリアの理髪師』のフィガロの役などもやっています。ウルスは、ハイドンやヘンデル、モーツァルトといった初期クラシックを得意としていて、イル・ディーヴォに入る前はそういうレパートリーを多く歌っていました。僕はと言うと、ヴェルディやプッチーニといった大作オペラ、そしてグノーやビゼー、マイアベーアなどフランス・オペラのスペシャリストでした。
セバスチャンだけはオペラや声楽のトレーニングを受けたことがなく、あの歌声は生まれながらのものなんです。フランスでポップシンガー/ソングライターとして活動していましたが、実は作曲の方が興味あったらしいです。ミュージカルにも出演し、さらに広い音楽シーンで活動しようとオーディションを受け始めた中の最初の一つがイル・ディーヴォでした。つまり、レコード会社はすぐに彼の才能に気づいたということですね。
カルロスは本当にオールラウンドな人でした。ミュージカルもオペラもやれば、TVの仕事もしていました。6歳から歌い始め、10歳の時に録音した「小さなカルーソー」というレコードも残っています。
結成からの歩みとグループの矜持
Q:これまでの活動の中で、嬉しかった瞬間や忘れられないステージについて聞かせてください。
D:何と言っても最初のオーディションです。パリのオペラ座で歌っているとき、“オペラを歌わないプロジェクト”のために、レコード会社がオーディションをしていると聞き、受けたところ合格。そこでセバスチャンに初めて会いました。そのあと、他の候補者たちと一緒に声を試すためにイギリスに呼ばれ、カルロスとウルスに会いました。運命的な瞬間でした。
そこから1stアルバムのレコーディングが始まり、完成までには半年かかりました。1曲を4つの言語で録音しながら、色々試し、まだ誰にもわからなかった“イル・ディーヴォのサウンド”を模索していたんです。
世界各国のレコード会社を集めたショーケースもよく覚えています。そして実際に初めて訪れた世界の国々。すべてが“初めて”の連続でした。初めてのオーストラリア、初めての韓国、初めての日本。フランス、イタリア、スペイン、オランダ…アメリカ。初めて「オプラ・ウィンフリー・ショー」にも出ました。「モーニング・ショー」にも出ました。
僕にとっては、スタジオのレコーディングも初めての経験でした。オペラ歌手はマイクを使わないので、マイクの使い方から学ばねばならなかったんです。そして初めてのワールドツアー。バーブラ・ストライサンドとも歌いました。トニー・ブラクストンとワールドカップ開幕式で歌ったことも忘れられません。
初めて訪れた国に次に戻った時、熱狂的に迎えてもらえたことも印象的です。最初の時、観客はどこか戸惑っていました。「これはオペラ?でもオペラでもない。一体何なんだ?」と。ところが二度目に同じ国に戻ると、みんな理解してくれていて、どこへ行ってもロックスターのような歓迎でした。日本では拍手や歓声よりも、両手を振ってくれるファンの姿が印象的でした。
幸運だったのは、僕たちがすでに30代だったことです。若いボーイズグループの多くが解散してしまうのは、「自分がリードシンガーだ。ソロになって好きなことをする」と誰かが思い、すべてが崩れてしまうからです。でも僕らは精神的にも大人だった。突然の成功を感謝しつつも「次は?」「次の曲は?」「次の公演日は?」と目の前にある一つ一つの仕事をこなしたんです。ステージに上がって100%を尽くし、観客の皆さんの拍手に「ありがとう」と感謝したら、自分の部屋に戻って明日に備える…。でも5年もそういうことを続けていると、「そこまで真剣にならなくてもいいんじゃないか」と少し慣れたふりをしようと思うものです。そして「今日は少し街に出て観光でもしてしまおうか」と気を抜き、本番で力が出せなくなってしまい…。
この話、まだ永遠と話せるけど時間はあるのかな?
歌唱力を磨くには
Q:あまりないので、次の質問に行きます(笑)。みなさんのように歌が上手くなるための秘訣はなんですか?
D:僕は自分が上手いシンガーだとは一度も思ったことがなくて、ただ歌に真摯に向き合ってきただけです。何より大切なのは、自分の本当の姿を見つけること。素晴らしいシンガーはテクニックを学んだから生まれるものでも、誰に教わったか、どんな経歴や訓練を受けたかで決まるものでもありません。内なるひらめきがなければ、そんなものは意味がないんです。
パフォーマーには色んなタイプがいて、観客の前に立つことが本能的に大好きで、それがなければ生きていけない人もいれば、一方で音楽を内面的な体験として捉え、静かに自分の仕事として歌う人もいる。多くのシンガーはその間のどこかに属しているんです。もし自分の本当の姿を理解していなければ、強みもわからない。強みがわからなければ、どう成長していけばいいのかもわからない。
僕は“まずは頭で理解して”歌うタイプの歌手だと思います。だから、テクニックを学ぶことは自分にとって、とても役に立ちました。すべての音符、すべての言葉、母音の一つ一つがどう機能しているかを把握できないと、声を体で感じることができず、歌が崩れてしまうんです。ステージでは、まるで「歌うために生まれてきた」かのように振る舞うこともできます。でも、それはある意味で演じている部分なんです。本来の僕は、とても内面的なシンガーです。だからこそ、自分がどんな人間なのか、本当の自分を知っていることが何より大切だと思います。
そして、もし歌う技術も身についていれば、それはさらにプラスですね。

日本との関わり
Q:日本のファンはグループにとってどんな存在ですか?
D:22年前、今のようにインターネットやSNSは発達していませんでした、だから各国の観客がライブでどう反応するのか、お互い知らなかったんです。初めて日本に来た時は、本当にカルチャーショックでした。「Regresa A Mi」の高音を歌い上げた後、客席を見ると、みんな両手を前に出して左右に振っているんです。手袋をはめている人もいました。僕たちは顔を見合わせて「何が起きたんだ?」と思いました。あんな光景は初めてでした。
あとで知ったのですが、日本の人たちは音楽に敬意を払い、音が消えていく余韻まで大切に聴こうとしてくれていたんです。拍手で邪魔することなく、手を振って感謝を伝えてくれたんです。その思いやりに、僕たちは感動しました。それで次に来た時には、客席の皆さんの反応がよく見えるように、グッズとしてペンライトを用意しました。実際、後ろの席まで光が見えて、「みんな楽しんでくれているんだ」と感じられました。
その後SNSが広がり、世界は一気に小さくなりました。日本の皆さんも海外の様子を目にして、きっと僕らは拍手での反応の方が慣れているはずだと思ったのでしょう。西洋式の拍手をしてくれるようになりました。3回目のツアーで日本に戻ったら、客席はみんな拍手をしていて、僕らはまたしても「何が起きたんだ?」と驚きました(笑)。日本のライヴでの反応がそうやって変わっていくのを見ることができたのは、とても特別な経験でした。
Q:手を振ったり、ペンライトで応援していたのは日本だけなんですね?
D:はい、日本だけです。今でもその時のペンライトを持って来てくれる人を見かけますよ。
Q:今回もですが、ジャパン・ツアー前に日本語でメッセージをいただき、みんな喜んでいます。あなたの流暢な日本語のスキルはどうやって育まれたのですか?
D:僕はもともとオペラの出身です。オペラのレパートリーの多くは、自分が話せない言語で歌われます。当時は、学校で第二外国語を学ぶのが半ば必須だったので、12歳の時、フランス語を勉強しました。オペラ歌手になりたいと思い始め、ドイツ語とイタリア語の勉強も始め、音楽院でも勉強は続けました。そんなこともあって、言葉を覚えるのは昔から得意だったんです。
初めて日本に行くとわかった時も「アリガトウゴザイマス」「コンニチワ」「コンバンワ」…と5つくらいのフレーズを覚えました。日本語で話す努力をしたかったんです。紙に書き、スピーカーの前に貼ってチラッと見ながら「アリガトウゴザイマス」と言ったのを覚えています。客席から大きなどよめきが起こって驚きました。それで「次に行くときはもう少し覚えてみよう」と思ったんです。
それ以来、日本に行く1ヶ月前くらいから、日本語をおさらいするようにしています。普段はDuolingoでイタリア語、日本語、ドイツ語を毎日練習しています。MC用の日本語も自分で用意しますが、最近じゃChat GPTに添削してもらえるので、とても楽になりました。2012年以降はほぼすべてのMCは日本語です。5月の時も、日本語MCもプロンプターは用意してもらっていますが、できるだけ見ないで喋れるように、今ももう練習をし始めているところです。
Q:最近、どんな日本語を覚えましたか?
D:ちゃんと言えるかな・・・(日本語で)「この公演のテーマであるCLOSERに沿って、より近く、より親密な世界へとはらいます」・・・。あ、間違えた、「入ります」でした(笑)。
グループのこれから。そしてツアーに向けて
Q:最後に、これからのグループの展望について教えてください。
D:今、僕たちは大きな分岐点に立っていると感じています。結成から22年、ここしばらくは主にカバー曲が中心になっていました。オリジナル曲も、3〜4枚目のアルバム以降はほとんど歌っていません。多言語で歌うスタイルでしたが、近年はスペイン語が中心になっていました。でも、いつも同じスタイルを繰り返して”典型的なイル・ディーヴォ”を演じるだけの存在にはなりたくないんです。
そこで、日本公演の後、少し新しいことに挑戦してみようと思っています。ソロで歌ったり、デュオやトリオなど、これまでとは違う組み合わせを試してみたり。そうした試みが次のアルバムに反映されるかどうかはまだわかりませんが、これまでのやり方を少し変えてみたいと思っています。とはいえ、アイデアは色々ありますが、まだ具体的な計画は立っていません。まずは試行錯誤をしてみて、進むべき方向が見えてきたら、そこから次に進むべき道を探していきたいですね。

Q:ジャパンツアーを楽しみにしている日本のファンに向けてメッセージをお願いします。D:また日本に戻れることをとても楽しみにしています。日本での公演は、いつだってツアーのハイライトなんです。
ちょうど僕たちが行く頃、東京では大相撲の5月場所が開かれているはずですよね?もし機会があれば、ぜひ相撲を観に行きたいです。残念ながら桜の季節はもう過ぎているかもしれませんが、ツアー中、日本ならではの文化を体験できたらいいなと思っています。
でも僕たちにとって一番大切なのは、やはりステージに立って歌うこと。コンサートに来てくださるファンの皆さんが音楽を楽しんでくれる姿を見るのが、何より嬉しいんです。ツアーのハイライトでもある日本に戻れることを、今からとても楽しみにしています。
Interview & Translation:Kyoko Maruyama
IL DIVO
【CLOSER TOUR】
5/7(木)福岡サンパレス ホテル&ホール
5/9(土)グランキューブ大阪
5/11(月)上野学園ホール
5/13(水)Niterra日本特殊陶業市民会館フォレストホール
5/14(木)& 5/15(金)東京国際フォーラム ホールA
5/18(月)仙台サンプラザホール
5/20(水)札幌文化芸術劇場hitaru